仙台市青葉区川内追廻
仙台市青葉区川内追廻
みなさん川内の追廻地区って知ってますでしょうか?
立地的に東北大学の人は通るでしょうが、
普段通る道じゃないから知らない人も多いかと思います。
まず写真です。たしか2年前ですね。
はぁ?( ゚д゚ )ってな感じですよね。
つい最近までこの地区には住宅がいっぱいありました。
今草むらと化してますが、びっしり住宅あったんですよ。
仙台のど真ん中、西公園まで歩いてすぐ、という絶好の立地です。
それなのにこれほど広大なゴーストタウン。
まぁ理由があります( ̄ー ̄)
超ざっくり言いますと、
ここはかつて伊達政宗の時代、片倉家の屋敷があり、
仙台藩の馬場などで使われていた。
明治時代あたりで、練兵場、射撃場、競馬場(゚д゚)!
になっていた。
で、ですよ。
戦後に仙台空襲で住む所を失った人、
そして満州国から引き揚げて来た人のために、
その後営団が解散するので、宅地買取を打診したけど、
仙台市は拒否しました。だって仮ですから。
そしたら住人は営団から住宅を買いました。
建物を買ったんですね。しかし・・・土地は仙台市の物。
ここから話はややこしくなります。
住人軍
もう住んで落ち着いてるのに、いまさらどこへ行けと言うのか。
土地は買うと言ってるのだから、売れよ(#゚Д゚)ゴルァ!!
最初からあそこは仮設の土地。
そこ公園建てるつもりだったんだから返してよ(´・ω・`)
ちなみにここは旧片倉家の遺跡があったりしてそれの発掘も大事ですし、
政宗騎馬像の真後ろの崖の下が追廻なんですが、
ここビル街のすぐ近くですから地価だって相当なものだと思います。
で、住人と仙台市の対立は深まります。
対立は50年続きます(゚д゚)!
とにかくそこ宅地じゃないからインフラ整備しないからね(#^ω^)
住民軍
あ?じゃあいいよ。こっちでやっから(#゚Д゚)
住民は自費で電気引いて、水道通して、
アスファルト敷いてインフラ整備しちゃいました。
電気、水道も道路まで住民らの私財ですので、
余計ややこしい(´・ω・`)
結局仙台市の大幅譲歩で収束しました。
宮城野区新田にある、仙台政府倉庫を潰して、そこに立派なマンションを建て、
そこに移ってもらうことに決定、
ようやく立ち退きが始まった・・・んですが、
意地でも納得せず、住み続ける住民が3件くらいあったりします。
ぶっちゃけ、追廻って仮設で作った所だけに道幅はほんと狭いし、
仙台中心部にあって時代が止まったような・・・
3丁目の夕日みたいなノスタルジーな街並みでした。
昭和40~50年代で止まったようなイメージです。
初めて行ったときは住宅びっしりのときでしたが、
ものすごい懐かしいような・・・違和感を感じてました。
案内図の通り、こんなに家があったんです。
ほとんどの住民は新築のマンションに住めるので早々に移転しました。
木柱もいまや貴重です。
もう名所です(笑)
もう歩道のような道幅なんですよね。
このアスファルトも住民の自費で敷いたものです。
だから質が粗く、幅も狭いのが追廻の特徴です。
道路が壊滅してます
この車止めの石がずっと並んでるのはなんなんでしょうね??
このポンプが刺さったまま残ってんのが凄い(・∀・)
刻が止まったような追廻の対岸に見える、
近代的なビル群がシュールです(´・ω・`)
青葉城に登って上から見ると・・・
このギャップが凄い(・∀・)
興味があったら検索してみて下さい。
このブログより詳しいのがいっぱいあります。
ちなみに。
仙台政府倉庫の土地に移転が決まって一件落着したように見えましたが、
その仙台政府倉庫移転もまた批判がありました。
仙台政府倉庫は昭和11年に建てられた
帝国時代からの歴史的に価値のある建物です。
跡地ならともかく、保存を望む声があるのにぶっ潰して建ててしまうので、
得をするのは追廻の住人だけ・・・と結構文句も出てました(;´Д`)
今思えば、あれも無くなり往く廃墟として撮っておくべきだったなぁ・・・と。
それも検索すれば画像出てきます。
広瀬川の流れる岸辺。
思い出は帰らないです(;´∀`)