ピラーの言いたい事言うぜ ~宮城の林道、廃校、へき地、廃墟巡り~

宮城を中心とした林道とか廃校とかへき地とか駅とか廃墟とか巡るブログ

厄除け、厄祓いの違いと神道、仏教、最澄、空海について

厄除け、厄祓いの違いと神道、仏教について

なんてタイトルに書いてますが、そんなに詳しいわけじゃないのでざっくりと書いてみます(;´∀`)
長いんで興味ある人じゃないと飽きると思います(;´∀`)



まず厄除け、厄祓いと言ってますが、

厄除けは仏教、真言密教系のお寺で行います。
不動明王のお力で来る災いを除ける、という事です。

厄祓いは神社で行い、身体に憑いた厄を祓い清める、という事です。


神社だろうが寺だろうが、どこでやってもかまいません。
なぜなら厄という考え自体が陰陽道の考えですので、神道でも仏教でもないからです。

でも神社でやる人が多いんじゃないでしょうか?
神社のほうが圧倒的に多いですから。
寺で護摩焚きをするのは真言密教系のお寺、お不動さんやなんとか大師などですが、
多くはないので、近くにないかもしれません。

スタイル的には神社のほうが陰陽道に似てる感じがします。


前厄、本厄、後厄と、三年同じ所に行っても、違う所へ行ってもかまいません。
神様、仏様は寛大ですから、別にヤキモチ妬いたりなんかしませんから(笑)
しかし礼儀として、前年に祈祷してもらった所へお礼参りをしてからにしましょう。
お礼もせずに違う所へ・・・ってのはちょっとおかしいですよね。



しかし日本って、本当に八百万の神、って考えが根底にあると思います。

まず神道、神社ですが、日本全国いたる所にあります。
無宗教の人が多い日本人ですが、その割には大多数の人が神社に初詣に行きます。

じゃあ神道なのか?というとそうでもなく、多くの人が無くなったらお寺でお墓に入ります。
神道でもあり、仏教徒でもある。

それでいてクリスマスやハロウィンなど、キリスト系的なイベントもあっさり受け入れるのは、お祭り好きなので、ってのもありますが、八百万の神、神はいたる所にいる考えが根底にあるからかもしれません。
アラーが唯一の神であるイスラム教とは全然違いますね(;´∀`)


まず日本神話でも、色んな神様が出ています。

天照大神や、地元の氏神様など、めちゃくちゃ多いです。
さらには台所の神様、便所の神様など、自然の大木や石にも神が宿る、と考えます。

古来からお伊勢参りなどは最高のイベントだったようですね。
伊勢神宮が祭っているのは三種の神器の一つ、八咫鏡
式年遷宮って話題になりましたが、20年に一度、お社を建て替えるんですが、それで移し替えられるご神体ですね。

ちなみに天皇は神器を祭る、神主オブ神主、日本で最高の神主でもあります。
あと勾玉、草薙剣ってのがあります。



で、仏教もまた仏は多数。
如来、菩薩、明王、天、など。

全国の路上にあるお地蔵さんも、あれ地蔵菩薩ですし、寅さんで有名な帝釈天など。

パレットを移動するハンドリフトの商品名でbisyamon、ビシャモンってあるんですが、
あれは毘沙門天から。力持ちって事ですかね。


厄除けをするのは高野山真言密教系のお寺です。
護摩焚きしてご祈祷する一派です。
なんとか大師、なんとか不動尊とかです。

でも色んな法事に行くようになるとわかるんですが、なんとなく護摩焚きしないで
抹香、線香を焚いてお経を読んだり禅を組むなどの比叡山系のほうが多いような気がします。
浄土宗や禅宗日蓮系みたいに派生が多いので。


これは最澄空海などのお話までさかのぼりますが、
これ教科書に書いてあったときにはまっったく興味無かったんですが、
中年になって初めて興味を持ちました(;´∀`)

しかしこの最澄空海の話はなかなか面白いです。

最澄は仏教界のスーパースター。
一度仏教界の権力争いに嫌気がさして隠居して修行していたんですが、乞われて表舞台に再び登場、そして一気にスターとなります。

これまで仏になれるのは一部の家柄の者、とされてたのを修行で誰でも仏になれると説き、広く民衆に仏教を広めました。



で、最澄は唐に一団を引き連れて渡って密教を学ぶ事となりました。
そこにギリギリ滑り込みで入ったのが当時無名だった空海です。

空海は弘法も筆の誤りってことわざでも有名な、弘法大師空海です。

で、唐に渡っていままで日本にあった仏教とはちょっと違う最新トレンドの密教を学ぶのですが、
数年経った後に、最澄は日本に帰る事になります。
最澄はまだ密教学び足りなかったんですが、そこは日本のスターで重役ですので、長く空ける事ができなかったのです。

で、先に最澄は帰り、当時無名な空海はそのまま残り、さらにガッツリ密教を学んでから帰国します。
といっても学びきるには何十年と長い期間が必要なんで空海も途中帰国なんですが。

ここでおかしな事になります。


最澄空海ほど密教を学んでないので、昔無名だった空海の弟子となって学ぶ事となります。
形はそうですけど実際空海が地位を得たのは力のある最澄が色々してくれたおかげでもあるんで、何とも言えない関係なんですが。

ですが徐々に考え方の違いで対立していきまして、
比叡山系の最澄高野山空海って全然違うスタイルになっていきます。

で、後々比叡山からは続々と有名な弟子達が出て、そこから色々な宗派が派生することになるのです。



・・・全然ざっくりじゃねーじゃんΣ(´∀`;)