古い小物入れの持ち主 【仙台の歴史】
私が使っている古い小物入れがあります。
どうですこのレトロさ( ̄ー ̄)
これうちの親父が古物店から買った物ですが、自分が勝手に奪って
使ってからも余裕で20年以上経ってます。
正直ここ数年はほぼ物を入れてなくて、
捨てようかと思って中身全部出してたんです。
んで、ふとなにげに引き出しひっくり返してみると・・・
住所と名前書いてある(゚д゚)!
こりゃビックリです。
長年使ってきて初めて気づきました。
まぁ普通引き出しを抜き出したりしませんよね。
ましてや引き出しをひっくり返すなんてしませんから(;´∀`)
さて、俄然興味が沸きました
「仙台市支倉通二七 栗村幸子 十八才」
こんな短い住所、相当古いに違いありません。
区が無いのは当然として、町名からいきなり番地で終わっています。
調べたら支倉通という表記自体が現在の町名では
存在していませんでした。
支倉町ならありますけど、これ通り名ですから。
まず支倉という地名や表記は支倉常長で有名な
支倉家が住んでいた所から来ています。
そして仙台市であるという事。
1889年(明治22年)4月1日に市制施行ですので、
明治22年以降であるということですね。
で、大正9年(1920年)の地図で番地発見しました。現在の新坂町です。
↓マップ 完璧に合致してます(゚д゚)! すげぇな測量技術
ネット検索でまさか特定できるとは(´∀`)
支倉通27は恩慶寺の向かいになってますね。
恩慶寺はちゃんといまでもあります(´∀`)
これなんですが、下の川、広瀬川なんですが、
ここから支倉通がスタートしてます。
広瀬川側の、通りの左側から2,3,4,5・・・と番地がスタートして、
27で折り返して向かい側に行って38,42,43・・・となっています。
本来広瀬川から北山まで支倉通は一直線だったんですが、
それまであの錦町公園に県立宮城病院という
大学病院の前身となる病院あったとか。
仙台も奥深いぜ(;´∀`)
そして昭和11年地図に番地は無くなっていました。
支倉通、支倉丁は支倉町、広瀬町、柏木、北山、木町、新坂町と
複数の町名に変わっています。
ちなみに新坂町に北山郵便局があるのですが、引き出しの裏を発見する
つい3日前に偶然にこの近くに来ていて、ついでに郵便を出したかったので
最寄りの郵便局を探して徒歩でこの郵便局に来ていたばかりだったので、
あまりに近かったのでちょっと驚いています。
歩いている途中に地蔵があったので普段そんな事しないのに
珍しく手を合わせてみたのですが、
もしかしたらこの地蔵が何かの縁をもたらせてくれたのか?
と思ったりしました。
なにせ私が所有してからでも20年以上は経ちますが、引き出しをひっくり返そうなんて思いもしませんでしたから(;´∀`)
ちゃんとお地蔵さんの所を空けて家が建ってます(´∀`)
これも支倉通の名残りで、北山郵便局の近くにあります。
今北山はトンネルとか道路新しくなってますが、ちゃんと過去の名残りがあるんですね。
それにしても・・・もし仮に大正生まれで18才だとしたら、栗村幸子さんが現在生きている可能性は極めて低いと思うのですが・・・(;´∀`)
支倉通という住所名が何年まで使われていたのか調べられなかったのですが、もし昭和ならまだ存命の可能性があります。
もし会えるもんなら前所有者である栗村幸子さんに、
今も現役で小物入れを使っていますと伝えたいです。
そう、捨てるの思い留まって、メイン小物入れで使ってます(・∀・)